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日本の森を守る 見山謙一郎のコラム

第5回 六十四行六十四色

サザンオールスターズが10年ぶりのオリジナルアルバム「葡萄」を発表しました。このアルバムは英語やカタカナが少ない仕上がりとなっていますが、桑田佳祐さんはそのことを「今回はかなり自覚的に日本語と向き合いました」と答えています。日本人だからこそ、日本語でしか表現することが出来ない、自らの「感性」と向き合ったのだ、と私なりに理解しました。桑田さんは、同じインタビューの中で、最近は「“生きた歌詞”が少なくなった」とも語っています。このことは、英語やカタカナ語が氾濫する今の日本の風潮にも当てはまると思います。

中国文学者の興膳宏京都大学名誉教授によれば、そもそも「環境」という言葉は、「自分を取り巻く円環を想定して、その周辺や外側を指す」というのが語源だそうです。池に石を投げ入れた時、着水点から少しずつ外側へ外側へと円環が広がっていく映像が浮かびませんか?その映像が浮かんだとき、“Environment”という言葉を“環境”と訳した先達の感性が共有できると思います。一方、“エコ”と聞いても、ぼんやりとしたイメージしか浮かんでこないのは、借りものの言葉(≒外来語)であるが故、映像が脳裏に浮かんでこない為だと思います。

欧米人的 “Environment”と、日本的“環境”とは、そもそも価値観が違うという話もよく聞きます。過酷な自然環境と向き合ってきた欧米では、自然環境は人間が克服すべきものとの価値観で、自然環境の外に自分(人間)を置いてきたと言われています。一方、四季折々の自然に恵まれ、自然からの恩恵を享受し、自然と共存、共生してきた日本人は、自然環境の中に自分を置くことが出来るのです。

“Environment”と“環境”

環境に限らず、最近では地域活性化でも“ブランド化”や“インバウンド”など、本質的意味が骨抜きにされた、借りものの言葉が氾濫しています。「エコな取り組みによりブランド化する」、「施設を充実させインバウンドにつなげる」などと言われても、本質的な価値がどこにあるのかが全く伝わってきません。借りものの言葉は聞こえが良く、いかにも含意がありそうな雰囲気を醸し出しますが、私はむしろ思考を停止させる「思考停止用語」だと考えています。事実、補助金の審査などで「ブランド化」を連呼する申請書ほど、どのようにブランド化し、なぜ、何が価値を生むのかが全く記載されていないことが、その証左です。

住友銀行のバンカーだった私が、CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉をはじめて聞いたのは、90年代後半と記憶しています。この時期、企業は年次報告書として環境報告書を発行するようになり、それが発展的にCSR報告書へと移行していったことをリアルタイムで見てきました。CSRは一般的に「企業の社会的責任」と直訳的に訳されますが、どうも私はピンと来ません。それは、やはり借りものの言葉だからなのだと思います。むしろ、近江商人の「売り手良し、買い手良し、世間良し」の方がピンときます。“世間”という言葉の含意も深く、「人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。また、そこにいる人々。」(デジタル大辞泉)とされ、この中には日本的な価値観である“環境”も含まれているのです。

本会も、地方銀行のCSR活動やエコ活動と解してしまうと、本質的な活動の意義を見誤ってしまうことにも繋がりかねません。本質的な活動の意義を借りものではない、64通りの言葉で語れるようになった時、本会の存在意義が日本に、そして世界に示すことができるのだと思います。
以 上

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